この数年間に遺伝的検査をめぐって、いくつかの疑問が表面化した。すなわち、誰が検査を行うのか。検査結果はどのように使われようとしているのか、検査の結果としては何が起こるのか。誰が結果に近づけるのか。誰がこれらの秘密性を保証するのか。ある人が検査を受けるかどうかは誰が決めるのか。医者か、雇い主か、保険会社か、政府のメンバーかまた、彼らに雇われた人の知る権利を尊重して、情報を利用できるようにする義務はあるのだろうか。

これらの議論がまた、感情的、道徳的にさらに重い問題を引き起こすが、これらの輪争を解決することは、時間的な問題を含んだ矛盾のためにさらに難しくなる。まだ議論の途中にあるのに、もういくつかの検査法が実用化され、日常的に使われているのである。これは3,500以上ある恐ろしい遺伝子病のごく一部分に対する検査法でしかないが、これらの病気の遺伝的検査法は日毎に増加している。

これらの検査の実施に関する-一般的な親制措置はまだないが、これらの検査法の一つ一つに少しずつ違った問題があるので、規制措置を考えるのは大変な仕事となる。一方遺伝的疾患はまだ治療できず、適切な治療方式の開発は診断法の開発に比べてずっと遅れている。今日、治療法のない疾患の遺伝的検査がかえって人々に苦恼を強いる結果となっている。つまり、陽性の診断が出た胎児の中絶問題、病気に侵されていると診断された成人が生命保険への加入や雇用を拒否されるという問題がある。従って、このような検査に対する反対が唱えられているのも、驚くべきことではない。実際、重い遺伝的疾患の保因者であると分かったとき、その人の将来にはどのような生活があるのだろうか。

ハンチントン病(HD)はこのような事態の代表例であり、遺伝的疾患の早期発見によって起こる多くの懸念を如実に示している。HDは常染色体性優性の疾患であり、両親のいずれか一方から受け継いだ一つの異常染色体によって病気が起こる。症状が現れるまでに40年もかかり、神経系のゆっくりした変質が進行し、数年間の肉体的、精神知能的障害のあと、必ず死亡する。この病気の進行は避けがたく、決して止められないが、将来発症する人達をDNA検査によって特定することができ、医者は最初の症状が現れる前のどんな時期(出生前、小児期、青年期)にでも診断を下すことが可能である。ここに述べた条件の下で、これは事実上死の宣告に等しい。

その上、出生前試験の結果は、両親の状態を知る手がかりを与える。HDの危険性が高い家系に属する一人の母親を例にとって見よう。彼女は自分の胎内にいる子がHDに侵されているかどうかを知りたいと思っているが、自分自身のことは知りたくない。もし検査結果が陽性、つまり胎児がHD遺伝子の保因者だと分かったら、それは母親も保因者であり、将来HDによって死ぬ運命にあることを意味する。一方、もし陰性であっても、まだ彼女が保因者である可能性は5 0%あり、彼女が胎児の出生前診断を受けたと聞いた周りの人、特に雇い主は態度を変え、彼女は「おそらく異常だ」とみなされるだろう。

従って、HD体質を減少させ、そして根絶させることを目的とした大規模なキャンペーンを行おうとしないまま、HD遺伝子を持つ胎児の中絶を決めるどんな権利が私達にあるだろうか。確かに、現在の医学の知識では、この人は40歳までに死ぬだろうが、最初の症状が現れる30代後半までは多分、「正常」な生活を送るだろう。つまり、それだけ寿命が短いということになる。私はHDに侵された胎児の流産に反対する三つの理由を考えている。第一に、モーツァルトのような天才は35歳で死んだ。第二に、HD保因者は25歳で自動車事故で死ぬかもしれない。そして第三に、生物医学の進歩で、病気の治療法ができる可能性があることを、ともとすると忘れがちである。もちろん、私はHD保因者ではなく、HDにかかっている人を個人的に知らないので、論理的な解説をすることはやさしいが、この病気に対する精神的な重荷を負っている人の感じ方はまた自ずと異なるはずである。