機械は生きようとする意志を作り出すことができない。ニューロコンピューターは膨大な情報を素早く処理できるが、考える意志を作り出すことはできない。ショーペンハウエルの意志やニーチェの力、ベルグソンの跳躍力がなければ、ニューロコンピューターも南米の一匹のヒルにも及ばないのが人工頭脳の限界なのである。

この生きようとする意志は、一体どこに在るのか?遺伝子の中に組み込まれている。

30数億年前、ラン藻類が発生して世界が炭酸ガスから酸素の星に変わると、14億年前に動物性の真核細胞が誕生し、光合成で生きている植物性細胞を襲って食うという新しい生のパターンが発生した。それによって炭酸ガスと酸素のバランスがとれ、動物と植物の共存関係が成立するのだが、それにしても地球誕生から30億年余、ハンティングをする生き物が突然出現したのは、まさしく驚天動地の出来事だった。

自分で有機物を合成せず、動けない栄養満点の植物細砲を襲って食らうことを覚えた新種のこの細胞は、自ら移動するというもう一つの特技をも身につけた。これが動物生命の起源である。ここから地球という星で生命のビッグバンが始まる。真核細胞が核膜に包み込まれた染色体を持っていたからである。このDNAが進化のレールを一直線に突き進み、ついに人類を誕生させた。人もまた、真核細胞がDNAの二重ら旋構造に記憶した「他の細胞を襲って食う」「そのために動き回る」という14億年前の獲得形質を持って地球上に君臨している。

この遺伝子がどうして発生したのか、全くの謎だ。四つの塩基が数十億の文字情報を持つ二重ら旋構造が、ある時偶然に生まれたのか、それとも隕石説ややパンスペルミア説が唱えられるようにウイルスのような形で、宇宙の果てから地球に向かって来たか、全くわからない。言えるのは先カンブリア紀にやっと出来たばかりの細胞構造にDNAが取り付き、DNAが自らを複製する目的で細胞分裂を行って新しい生命体を作り出したということである。DNAの二重ら旋搆造を発見したクリックは、DNAが宇宙の果てからやって来たと信じている。DNAが自然界で偶然に岀来た確率は、カンブリア紀の地層からハイテク機器の化石が発見される確率に等しいという。

宇宙のどこから「生きんとする意志」がDNAとなってやって来たのだろうか。だとすればそれは、野蛮極まりない飛来物だった。人間を頂点とするあらゆる動物のDNAは他の生物を食らうことで生を得ているからである。ショーペンパウエルが提唱した「生きんとする意志」は、ニーチェによって「力への意志」に焼き直されたが、人々が今もって意志や権力に対して異怖と憧憬が入り交じった感情を持ち続けているのは、その野蛮さのせいである。言葉は、しばしば偽装の道具としていられる。悪らつな意志を隠す為、人は愛や思いやり、優しさなどの言葉を平然と用いるのである。そして、その言葉と同一化しようとする。更にそこから反義語、類語、同意語が自己増殖しながら膨れ上がり、やがて複雑極まりない壮大な言語空間が作り上げられた。