美しさの隣には何時も優しさが在る。楽しさの隣には何時も確かさが在る。

色々な体験・認識を通じて物事を学んで行く。

自分さえ確かなら、余計なものは無い方が良い。大事な事は決して消したり忘れたりしない。何処にでも感謝を掘り出す代わりに不平を掘り出すことは、人間に与えられた宝物を掘り出す代わりに人間に与えられた悪を掘り出していることになる。徳の内に蛆も沸くが、罪の内にハスの花も咲く。他人や運命の御機嫌を見ずに、誘惑を近づけない能力。

本を読む事を知ると、有名人や富貴な人に成ることを望むことの卑しさを知ることになる。それらは空なことであり、もっと大事な事の在るのを知る。それが釈迦やキリストの道、真理を離れない道、僥倖の助けを借りない道です。

現状維持よりは前進、安定よりは変化を求め、絶えず自分を窮する状態に真理的に追い込み、それを、革新を生み出す起爆剤にする。固定観念に捕らわれず、通念や常識に批判的な発想を持ち、ユニークな発想をする。異業種経営者と交際し幅広い情報に接し、独自の哲学や人生理念を持ち、知性的な信念を持つこと。

人は誰でも、とんでもない事をやる能力が眠っている。それを呼び覚まさせるのが学びである。複雑な推論の展開に憤れ、それによって見落とし見逃しを防ぎ理詰めの結論を。

ワーグナーの無限旋律の考えは、シューベルトによって受け継がれ、ついに無調音楽に到達する。無調音楽はハ長調とかト短調と言った調性を無視した音楽である。しかしもともと音全体の体系から考えてみると、ヨーロッパ音階の調性と言うのは一つのフィクションでしかなかったのだから、これは音の世界を生態学的に眺めた時の当然の流れである。音の流れの全体性一貫性をあくまでも貫こうとしたのである。

 

行きも戻りも瀬田の唐橋 一夏のセミに聴くらん 人の善悪。こころの善し悪し。

 

地球上の一番未開発なのは、人間の帽子の下だ、人脳ほど開拓余地の広い所はない。

創造とは異質のものの結合。異質と言うのは「関係ないもの」と言うこと。

習慣を変える、時間の使い方を変える。正しい問いかけの方が、間違った問いに対する正しい答えよりも重要である。

問う前に答えを知ってしまっていたら進歩はない。偉大さは、その探検の質とその意志。

結論や結果は終わりでなく、始まりである。事柄の結論・結果に対して今一度、他に何かの方法がないかを考えて見る。予想と先入観で話すのは危険である。

自分の思うようにならないことが、自分の力を伸ばす素材である。今ここで頑張らなくて何時頑張る。自分の畠を耕せぬものに何で人の畠を耕かせるか。自信は寛大さを秘めている、寛大と言うのは、即席の自信の反映である。自分の本当の願いを確かめる。

気分と肉体のオーバラップ点、重なり合い、二重写しの点が、見直されるべきである。

生体の故障や病気を通して健康であることの条件を探求するのが医学である。体力・知力に並んで第3の新しい配慮として心の問題を重要視すべきである。いわゆる心力として。