分子遺伝学の方法が方々に枝葉を伸ばし、新しい手法の医療への導入を超えるほどの所まで広がった。遺伝物質、つまりDNAを操作することにより、私達は生命の本質に触れることになったのである。35億年の進化の結果である生命を一瞬のうちに変えることができるが、しかし、ある人が自然の遺産と呼び、外の人が神の御業とも呼ぶものを変える権利が私達にあるのだろうか。これらは、本当に非常に厄介な問いかけである。この問題は最終的には、適切な立法措置によって解決されなければならないだろうが、全ての人にはこの議論に立ち会う責任があり、私達すべてに自分の意思を述べ、これらの論争を解決する方法を示唆する義務がある。

1963年フレスティエは「20世紀の大きな希望」という著書で次のように書いている。

「現在の人間の不幸の原因の一つは、経済学と社会科学が自然科学に遅れていることである。人間は技術的進歩により全く予想しなかった地平線に押し流されている。彼のいる場所は完全に流行遅れとなった過去と、今だ分からぬ未来との間にある。人間は、かつては自分を精神的、社会的にバランスのとれた個人たらしめていた伝統、道徳的価値、宗教的信仰を今では何も持っていない。~人間は何が可能で何が不可能か言う調和の感覚を全て失ってしまった。」

この言葉は時間を超越したものであり、今日でも十分に当てはまる。もし、技術的な進歩の結果に押し流されないで、それをコントロ一ルする立場にいることを一度感じたとすれば、立派な成果ではないだろうか。これこそが分子生物学者が多分、最初にやろうと試みたことである。そこから学ぶことができるのが歴史の価値である。多様性が世界を規定している。今日観察される遺伝的多様性は35億年の進化の遺産であり、地表に現れた最新の生物種である人間にも関係があるに違いない。宇宙の遺産に敬意を表して、私達自身の遺伝的な多様性を受け入れることを先ず学ばなければならない。

実際、私達は全て有害な体質を持っており、特にいろいろな病気にかかりやすくする遺伝子を持っており、子孫にこれらを伝えるのである。生命のくじの結果によって、子供は元気であったり恐ろしい病気に悩まされたり、賢かったり知能遅れに成ったり、親切であったり無愛想であったりするだろう。

現在、私達は自分の力を遺伝的体質を操作するために用いることを規制する指針を作り出す可能性がある私達は未だ、広い大海の岸辺を発見したに過ぎないことを銘記する必要があり、海を渡るには数十年も数世紀もかかるだろう。私達の知識によって、よく分かっている病気について経験に基づいた助言を与えることができることを考えて見ると、誠意と謙虚さとを持って、適切な選択をする必要がある。科学だけを妄信することはしないようにしよう。私達は未だ生命のくじ引きの鍵を握っていないのだから。

私達は、自分をあるがままに受け入れることから出究しなければならないが、これはもっとも難しい仕事であろう。自分たちが完全でないことを知って居て、子供達が完全であることを要求する権利がどこにあるだろうか。人類の将来について白熱した議論をする前に、私達が完全なものではないということを理解し、受け入れる必要がある。やはり、人間はそう言うものではないのだろうか。