現在、遺伝子クローニングの技術を免疫学の分野に導入することが大きな刺激的な話題になっている。

正常な制御から逸脱した細胞の増殖、狂ったような細胞分裂、制御タンパク質の変化や欠失。これがガンの一つの姿である。さて、ここでこれらの細胞機能を全て調和して縫合するDNA分子に戻って考えてみよう。細胞のガン化の機構を理解するには、分子遺伝学が大きな価値を持っているからであり、分子生物学の技術でガンを検出し、治療し、その上治癒させる別の道を探すことができるからである。

ガンは伝染性の病気でも単純な遺伝性の病気でもなく、心臓血管疾患と同様に、複雑な遺伝形式を持っている。しかし少数のガンは古典的な遺伝学の法則にしたがって子に伝達されることが分かっている。遺伝性のガンは全てのガンの2%~5%と推定されており、これらの中には網膜芽細胞腫(幼い子供を侵す網膜のガン)、ウィルムス腫瘍(賢臓のガン)甲状腺髓様ガン、つまり甲状腺のガン(甲状腺は人の首の根元にある内分泌腺であって成長と代謝を制御する、ヨードを含むホルモンであるチロキシンを生産する)、色素性乾皮症にともなって太陽にさらされた身体の部分に現れる皮膚ガンなどがある。

しかし、ほとんどのガンは個人個人の遺伝的な体質と関連しており、ガンが多究する家系のあることは長い間分かっていた。ガンに対するかかりやすさが高いほど、家族のほかの人に同じタイプのガンが発生する危険性が高い。家族のほかのメンバーが違うタイプのガンになるような遺伝的体質はまれである。ガンの大部分は遺伝的、環境的因子を含む多因子性の原因によるものであると同時に、人の一生の中で起こる遺伝子の突然変異の結果でもある。したがって、多くのガンは子孫に伝達されない後天的な遺伝子の変異による疾患として理解できる。分子遺伝学の分野では現在、個人個人のガンに対する遺伝的体質を決める試驗方法を開発するのが重要な研究目標となっている。このような研究開発には、ガンを起こす原因となるような物質を作る遺伝子を特定することが含まれている。この基準に合う遺伝子は細胞の増殖と分化に直接関係している遺伝子で、複製の誤り、ガンを起こす化合物(発ガン物質)や放射線で起こる突然変異で細胞増殖を誘発する遺伝子である。

遺伝子が修飾を受けたり、その産物を過剰に生産するようになった結果、発ガンのある段階で直接の原因となる場合に、それを一般的にガン遺伝子と定義する。ガン遺伝子は、もともとニワトリにガンを起こすラウス肉腫ウイルスのようなRNA型発ガンウイルスで発見された。これらの発ガンウイルスは奇妙なことにDNAではなく、RNAを遺任子として持つウイルスである。このウイルスが宿主細胞に感染するとウイルスの持っている逆転写酵素と呼ばれる酵素がウイルス自身のRNAに働く。この酵素はRNAをコピーしてDNAにする機能を持っており、この酵素によって新しく作られたウイルスRNAの正確なコピーであるウイルスのDNAが、宿主細胞のDNAの中に組み込まれる。今までに、それぞれ特有のガン遺伝子を持った50種類ものガンウイルスが見つかっている。そして、これらのガンウイルスの研究が発展し、私達自身のDNAの中にモーガンウイルスのガン遺伝子によく似た原形ガン遺伝子があるという興味ある発見がなされたのである。これらはウイルスのガン遺伝子(ウイルスの頭文字vをとってvオンコジーンという)と区別するため、細胞性ガン遺伝子(cオンコジーン)と呼ばれるが、これまでに報告された、全てのウイルスがガン遺伝子と同じような細胸性ガン遺伝子が、人間の細胞内で見いだされた。事実、多くの生物はDNAの中に細胞性ガン遺伝子を持っており、それらの構造は進化の過程で非常によく保存されているので、ガン遺伝子は本来細胞の増殖や分化に基本的な役割を果たしていると考えられる。

例えば初めて性質の分かった原形ガン遺伝子の一つであるc-mycは胚発生の最初の段階に働き、細胞分裂に重要な役割を演じている。事実c-mycの指令するタンパク質に対する抗体(c-mycタンパク質を不活性化する)をある種のカエルの卵に注入すると、それ以降の卵の細胞分裂が停止する。ただし、その正確な役割は未だ分かっていない。

人間では細胞の中で働いているc-mycの量を制べると、ある種のガン、特に子宮ガンの発生を予測する手がかりとなる。初期腫瘍の細胞の中でc-mycが過剰に発現していると、その予後が悪く、また存命中にほかのガンができる可能性は、発現が正常な場合の8倍高いと言われている。

ただし、ガン遺伝子発現量の測定や、どんなガン遺伝子が活性化しているかを調べる試験の正確さはそんなに絶対的なものではない。事実、大腸ガンの場合、原形ガン遺伝子のc-rasが突然変異を起こしてガン遺伝子に変わっているのは全体の60%程度であり、このことは同じ型のガンでも異なった遺伝子が原因となり得ることを示している。それでもガン遺伝子であるc-rasによって作られるタンパク質に対抗する薬剤が大腸ガンの治療の的を射た方法になり得るであろう。個人個人のガンにかかりやすい遺伝的体質を決めるには、原形ガン遺伝子がガン遺伝子に変わることに関係したDNAの変化を見いださなければならない。実際のガン化には普通、数種類のガン遺伝子が働くことからそうした検査は複雑で、対応するガン抑制遺伝子の働きを失わせるDNA変化も含める必要がある。