「だれのDNAを」というのが多分当初から何回も何回も問いかけられた、もっとも基本的な疑問であろう。いったん一人の人間のDNAの地図ができ塩基配列が決定されるとこれがその後の研究の標準になるからである。しかし最初に決定される配列は色々な研究室で独自に解析された多くの異なったゲノムDNA断片の寄せ集めになるであろう。プロジェク卜はすでに世界中の多くの研究室で進められているので、最初の標準となる人間のゲノムは多くの人々のDNA分子の混成物になることも避けがたいからである。ヒトのゲノムを解析する研究は科学者たちがこの仕事を世界的規模で進めることに同意する前からすでに始まっており、研究チーム間の自由な競争を無視して、これらの仕事を一本化することには難色を示す向きもある。

DNAの配列決定はされるべきか否か、という質問は適切でない。分子生物学者たちは、毎日のように新しい遺伝子を分離、研究しており、12年このかたそんな調子なのである。これは研究の中で決まりきった部分として行われており、科学者は自分究している遺伝子の配列を決定し、それを早期に公開している。一般的なルールとして、科学者は自分たちの研究室で分離されたDNA断片は全て自分たちで配列を決定しようとする傾向がある。そうでないのは、時間が足りないか、まだ配列決定のできる装置を持っていない場合である。科学者たちが配列データを得ようとするのは、自分が手にしたDNA断片は全ての塩基配列そのものを決定するためではなく、研究の目的となっている特定のDNA断片についての知識を得るためである。これによって、すでに知られているほかのDNA断片と比較して配列の類似性と差異を見つけることができる。

この類似性と差異が遺伝子の機能と制御機構を解明する助けとなり、同様にタンパク質を指定していないDNA領域の機能を理解することにも役立つ。少しずつ、断片的にであっても、人間のゲノムの全配列が完全に決定できる日が何時かは必ず来るであろうが、もし現在の散発的な方法のままでやっていくなら、その日ははるかに遠い未来であろう。過去10年間に多くの仕事が締結したが、1990年までで人間の全DNAの1%程度が決められただけである。配列決定プロジ:Cクトの信頼できる提唱者の意見は最初からはっきりしたものであった。これほどまでに進まないとは、ことに多くの研究室がもっともっと速く配列決定を行うのに必要な技術をすでに持っているのだから、彼らにはとうてい理解できるものではなかった。プロジェクトに継続的な支持が与えられ、できるだけ短期間で契約が遂行されるようにと、彼らは望んでいる。

現代病解明に分子生物学が果たす役割。過去数十年にわたる医療や医学研究において、何がさし迫った問題であるかという認識は徐々にではあるが著しい変化を遂げて来ている。たかだか50年くらい前でもまだ、医学は重篤な感染症の解明と治療に没頭させられていた。

感染症はしばしば死につながる病気ではあったが、その概念を理解することは次のような理由で簡単であった。つまり、コッホの桿菌と呼ばれる特殊な細菌が結核の原因であり、もう一つの細菌のスピロヘータが梅毒を起こすのであり、単一の原因すなわち病原体が、単一の病気つまり感染症を起こしたのである。ルイ・パスツール以来、無数の科学者によって、原因から臨床症状に至る感染症の過程が明らかにされた。当時求められていたのは、感染症の治療を可能にすることであった。

1927年に素晴らしいことが起こった。イギリスのアレキサンダー・フレミングが最初の抗生物質を発見したのである。微生物の研究をしていたフレミングは、細菌(ブドウ球菌)の生育がぺニシリウム・ ノターツムという微細なカビに触れると止まってしまうことに気がついた。その後カビが分泌する物質、つまりペニシリンが1940年ごろまでに分離され、性質が決められ、その後、工業的に生産されるようになった。それまでは命取りの病気とされていた肺炎、胸膜炎、骨髄炎などの感染症がペニシリンによって非常に速く治ってしまうことがわかり、この抗生物質は間もなく広く使われるようになった。この発見は数え切れない多くの研究の引き金となり、各種の抗生物質が開発された。抗生物質は細菌やカビの生育に直接作用して、感染症対第の鍵となる物質であり、一度、病原体を殺す化学物質が見いだされ、その有効性が確かめられると、もはやその病気の治癒は間近い。その意味で抗生物質の発見は感染症対策に革命を起こしたのである。

今は感染症の起こり方がよく分かっており、その結果、昔は死亡の主な原因であった伝染病が制圧されたばかりでなく、しだいに根絶に向かっている。感染症に続く医学研究のテーマは単因子性(単遺伝子性)の遺伝的疾患=遺伝子病への挑戦である。