現在の熱狂的なDNA分子の構造解析は、個人個人の遺伝的性質の相違を知ることにあり、その相違は遺伝マーカーとして用いられる。人間のゲノム(遺伝子と染色体を纏めた単位)、すなわち全DNAの塩基配列を決定することは、人間のDNA分子に含まれる遺伝マーカーの全てと約10万種類あるとされている遺伝子全部を見つけることにつながる。

これがヒ卜ゲノム解析計画の目的なのである。

当然その利用は遺伝的な病気の診断法や治療法を始め、多種多様な利用が考えられるが、幾つかの破壊的な病気の多くは多因子性(病気の進展が多くの互いに無関係な因子)の相互作用によるものが分かって来ている。ここで遺伝的素質という考え方の知識の限界を見極め、新しい遺伝学の上に、DNAの生命観としての観点を明確にして見たい。

それらの考え方や方法について、例題として、心臓血管疾患、つまり心臓と血管の病気と言う代表的な例を取り上げ、また、アテローム性動脈硬化症、つまりコレステロールの沈着によって動脈が硬くなってしまう心臓血管疾患の主な危険因子にも注目して見たい。

それは、心臓血管疾患が多因子性疾患の典型的な病気で、現在2人に1人が心臓血管疾患の合併症で死亡していると言われるほど発生率が高いことが理由である。

当然、動脈硬化症の進展を支配する要因は、心臓血管疾患に伴うほかの興味深い異常や症状、すなわち高血圧症、糖尿病、肥満症についても言える。これらの臨床的な実体に含まれる過程を詳細に観察すれば、これらの病気が相互に作用し合っていることが解るし、発病の機構の複雑さが「現代病」としての意味も教えてくれている。

現在では、対症療法を主としてきた従来の医療からゆっくり離れつつあり、予防医学に力を入れるようになってきた。それには遺伝的な体質の診断に基づく病気の早期発見と予防法の実施によって、個人個人の羅患率の低下が望めるだろうし、的を絞った予防の費用は治療費を低下させ社会利益になるだろう。そして個人は寿命の延長と生活の質の向上が得られるだろう。

病気の仕組みを解明していくと、中心となる問題の核心に近づける。遺伝によるのか、環境によるのかが解る。つまり、遺伝的な設計図と環境因子の両方が病気の進展に関係していることになる。この二つの要因の相互作用こそが病気だけではなく人間の性格、行動や知能の背後にあってそれらを規定しているのである。この考え方に基づくアプローチによって、何故こんなにも病気が多いのかが理解され、人間としての生き物の複雑な体制を理解することもできる。

生命の未知の機構を探る道具としての分子遺伝学や分子生物学は、未だ充分に駆使されているとは言えない。その限界の一つとして、着想点に違いがあることと、その着想時のアイデアの育て方から方向性に違いがあるように思われる。生命力と言われるものへの考え方、生命を純粋に分子機構に還元する方法だけでは、生命の本質は解明できないし生体分子の生化学的な反応と具体的な目に見える生命現象とを適応させる必要がある。