理論的に可能なことが、実際にバイテクの具体的応用に結び付くかどうかは、資金と努力の量の如何にかかっている。科学的な研究は一般に費用がかかるが、バイテクの経費は宇宙計画、超伝導、素粒子物理学などのそれに匹敵する。

更に、基礎研究は市場に商品を送り出すための初期段階に過ぎない。特に遺伝的検査は、その確認段階での費用が大きいので、研究開発の速度はどうしても遅くなる。バイテク会社に大きな投資が行われる諸因は、予想される商業的利益が大きいことにある。製薬会社やバイテク会社の販売部門は長い間、市場の規模を印象づけようとしてきた。

確かにあらゆる人間はある種の遺伝的検査の潜在的候補者である。経済アナリス卜たちは伝統的に用心深い予想をするし、今後何十年かの間に遺伝的検査がどのくらい適用されるかを予想することは誰にもできないが、専門家は市場規模が年間数億ドルから数十億ドルの親模に達するだろうと、見積もっている。

どんな德会も逃すまいと、会社や大学は一様にすさまじい特許競争を行っている。バイテクの分野にいる研究者たちは、潜在的な価値があると見なされる結果に関して特許出願を強いられる。法律家たちは新しい出願の泥沼にはまり込み、その時点で何が特許になり、何がならないかを判断することができない。この狂乱状態にもっとも共通な副次的効果がニつある。一つは、裁判の手段としてのDNAフィンガープリントを使用する場合のように、社会の共有財産としてバイテクの導入を急ぐことであり、二つには、会社間の激しい法的な戦いである。金への欲望は研究室の実験合にまで達し、厳格で非利己的であるべき分野での悪賢い手口がありふれたものになるほど、研究グループ間の緊張が高まっている。例えば囊胞性線雜症の原因となる遺伝子(第七染色体に位置する)に関連する遺伝マーカーの発表競争では、いくつもの研究チームの一部で、疑問の多い行為が見られた。

科学の世界では、今まで長いことヒトゲノムは特許にならないという暗黙の了解あったし、誰もそれについての権利を主張しなかった。しかし、特許になり得るものとして遺伝マーカーと一つの病気の臨床症状とのはっきりした相関性がある。