バイオテクノロジーのインパクトは、外の新しい技術分野の進歩と全く同じである。その高い可能性によって、その有望性に対する賞賛がある一方で、パンドラの箱を開けるという恐怖もある。私達には遺伝的検査が影響を及ぼす全ての範囲を根気よく分析するに足る展望が欠けているため、遺伝的検査の実施や適用を規制する一連の規則を作り出すのはたいへんな仕事である。科学者、医者、宗教家、政治家、道徳家、哲学者など、また自由主義者も保守主義者も含めて、それらの人々の間で、根深い感情的論争が非常な混乱を引き起こしており、多くの人達のこの問題に対する関心が高まっているにもかかわらず、議論は暗礁に乗り上げた感がある。数少ない公式の声明はあいまいで抽象的であり、「人間の尊厳を重んずるように注意すべきである」というような、漠然としたものに止まっている。誰も責任を持って具体的な方法や勧告を提起しようとしないのである。

研究者たちが最初にこの問題を真剣に取り上げた彼らは1975年のアシロマ会議以来、常に自分達の研究が影響を及ぼす範囲を評価し続けて来た。科学者は普通、自身の発表においては簡潔で慎重であると評価されているが、自分の研究から派生してくる問題の評価には率先して取り組んで来た。長年にわたり、アメリカ人類遺伝学会などの学会が、政治的立場をとることを拒んで来たにもかかわらず、この姿勢に同意しない何人かのメンバーは、個人としての意見を主張した。

遺伝的分析が新しいトラブルのもとになるのは、これが個人の尊厳とプライバシー全般を侵害するかもないからである。これは妊娠、生死の選択、健康と病気、移住、職場または保険会社による選別などに直接関係するし、自分すら知らないような個人の最も深い隠された秘密を暴き出す新しい方法となり得るのである。つまりもはや一人の人間に何ができるかでなく、この人間が現実に誰で何なのかを語ることになるのである。