人間の血液には、酸素を運ぶために必要なヘモグロビンというタンパク質がある。へモグロビンの遺伝子は、もともとは一つの遺伝子として「創造」されたが、まず重複を起こしてα鎖遺伝子とβ鎖遺伝子ができ、さらにβ鎖遺伝子からε・γ・δ鎖遺伝子というように多数のヘモグロビン遺伝子が重複によってできた。もともとは一つで間に合わせていたのに沢山の似たような遺伝子ができるようになると、それぞれを違った条件下で使い分けるようになる。肺で呼吸できない胎児は、母親の血液の酸素を胎盤を通して受け取るという能率の悪い酸素交換をしているので、低い酸素濃度でも働くことのできるへモグロビンε鎖遺伝子が働いている。生まれた後で、初めてβ鎖遺伝子を使い始める。少しずつニュアンスの異なった、しかも音韻の似た言葉を作り出してそれを使い分けするのに似ているではないか。しかし、こんなに似たような遺伝子を多数作り出してしまったために、間違って他の遺伝子を働き出させるようなことになると、溶血性貧血という遺伝病を起こしてしまう。

眼のレンズを作っているクリスタリンというタンパク質にもα・β・γという重複によって生まれた三種類の遺伝子がある。動物によっては、さらにそこから派生した非常によく似た遺伝子を流用して、アミノ酸合成酵素を作ったりしている。こんな便宜的な流用を線り返したため、大もとは同じであった遺伝子が、構造上は似ているにもかかわらず、全く働きの違ったタンパク質を作り出すように変造されてしまったものもある。このようにして、遺伝子は一方で重複を起こして数を増大させると同時に、様々な変造物を作り出し、その産物を生命活動の中に取り込ませることによって、遺伝子共同体としてのゲノムを拡大させていったと考えることができる。更にゲノムの中にもともと紛れ込んでいたウイルス由来のDNAや、起源の定かでない無意味なDNA配列の線り返しなどが、複製のたびに語順を変えたり(転座)、文脈を変更させたりするために働いていることも知られている。

こうして、大もとの遺伝子から派生した複数の遺伝子の一族ができ、それらは自分の作り出した産物の関係によって遺伝子共同体の中に位置を占め、温存されていく。一つの元祖となった遺伝子の重複によって生じた、さまざまの遺伝子のファミリーを、遺伝子族と呼んでいる。それが大きな共伺体を作っているとき、先に大きな言語族を言語のスーパーファミリーと呼んだのと同様に、遺伝子スーパーファミリーと呼んでいる。